PERSONAL HISTORY

失敗と転換の記録。
なぜ料理人が、地域で新しい事業をつくるのか。

愛媛の田舎から北九州へ。野球、大学中退、飲食店経営の失敗、ITとの出会い、そして門司港での再出発。今の活動につながる歩みです。

01 / 原点

愛媛の田舎と、
野球だけの少年時代

1978年4月、愛媛県松山市から車で15分ほどの田舎町に生まれました。兄がソフトボールを始めたのを見て自分も始め、中学では軟式野球、高校では硬式野球と、学生時代はほぼ野球だけで過ごしました。

松山商業と熊本工業が決勝を戦った、あの「奇跡のバックホーム」と同じ年代です。野球に熱を注いでいた時期でもありました。

高校最後の夏、甲子園予選の最終試合で何気ない内野ゴロを弾き、2点タイムリーエラー。それがきっかけでチームは負けました。悔しさより申し訳なさの方が大きく、あの瞬間は今でも頭に残っています。

02 / 北九州へ

九州工業大学と、
運命のアルバイト

大学進学を機に、北九州市戸畑区にある九州工業大学へ入学しました。数学と物理だけが得意で合格できたのですが、入ってみると授業のレベルが全く違い、ついていけない日々が続きました。

学校に足が向かなくなっていた頃、先輩から小倉の飲食店でのアルバイトに誘われました。当時最先端のダイニングバーで、ベストを着てバーテンダーとして働く。田舎者の自分には飛び越えた世界でしたが、店長に可愛がってもらい、楽しく続けることができました。

次第に学校には全く行かない生活になり、留年。その後、必須科目を物理的に履修できない状態になり、退学せざるを得なくなりました。

03 / 飲食の世界へ

23歳で店長、
30歳で独立。
そして2店舗目の失敗。

退学後、アルバイト先の会社にそのまま就職しました。23歳で店長に抜擢され、30歳まで約7年間、小倉の店を任せてもらいました。

2008年、30歳で独立開業。経営は順調で、勢いのまま2店舗目をオープンしました。

これが最初の大きな失敗でした。「経営を学ぶ」ということを一切せずに、2店舗目を出してしまった。

案の定、経営はすぐにうまくいかなくなり、借金が膨らみました。最後には2店舗とも閉めることを決断しました。

04 / 転換点

失敗を認めた日が、
いちばんの転換点だった。

2店舗を畳んだとき、初めて「自分がふがいなかった」と素直に認めることができました。それまでは何となく始め、うまくいかなくなったらやめる、その繰り返しでした。

自分の失敗を自分で認めたこと。これが、僕の人生でいちばんの転換点だったと思っています。

赤字にならない経営を一から勉強し、移転先として選んだのが門司区でした。昔からパソコンを触るのが好きだったこともあり、マーケティングとITを本格的に学び、独学でITの国家資格を取得しました。

その知識を経営に生かし、少しずつ赤字にならない店をつくることができました。

05 / 現在

門司港へ。
飲食、教育、IT、
そして新しい場所づくり。

物件の契約期間満了を機に、門司港・栄町へ店を移転しました。それが今のBONGOです。

ITを学んだ経験から、子どもたちへのプログラミング教室を始めました。店の発信が続かない課題からMEOラボ・MEOポストに取り組み、料理と商品開発の経験からHOME RESTAURANTを育てています。

そして今、仕事・学び・交流がつながるコワーキング門司港の開業準備を進めています。飲食で地域の食に貢献したい。ITとAIで子どもたちの選択肢を増やしたい。自分の失敗を誰かの参考にしてほしい。そんな思いで今日も動いています。